2012-01-30

「La Peur de la liberté 」











『「自由からの逃走』
   エーリッヒ フロム



自由を求めてやまない人間の心理に潜む、自由から逃走したいという矛盾した願望…、
人間は自由であればあるほど、その自由の重荷に耐えることができない、ということ。

だれかに依っていたいし、それによって自分を支えていたい。
誰かに縛られていたいし、それによって自分の存在を確認していたい。
それは誰にとっても共通の問題だし、そのコンプレックスは、「個別」がはっきり見える現代こそ容易ではない。


「自由からの逃走」の原因となる「権威主義的パーソナリティ」を持つ人たちは、「個人の自由」を実現するための大きな自己責任を 負うことができない。フロムは、破滅的な社会病理の様相を見せる権威主義的パーソナリティやサディズム(マゾヒズム)に誘惑されない為に、「生産的な生 活・他者への愛情・個人の自由の尊重・人間性の肯定」が大切であると主張した。

個々人の幸福や自由を尊重する「人道主義的な倫理」を全体的な利益を追求する「権威主義的な理想」よりも重視したフロムは、国 民一人一人が「自由からの逃走」を否定する生産的(創造的)な生活と主体的な責任感を持つことで、全体主義の悲劇を回避できると考えた。依存心や逃避欲求 を持つ私達は、自由主義の責任感と個人主義の孤独感に耐え切れなくなった時に、権威主義的パーソナリティを持つようになり「絶対的な権威(中心的な価値 観)」や「他者との一体感(数の論理)」に従属して自分の人生の自由を放棄してしまうのである。


以下は「自由からの逃走」引用

我々は、人間が彼に何を為すべきで、何を為すべきでないかを教えるような、外的権威から解放されて、自由に行動できるようになったことを誇りに思っている。しかし我々は世論とか「常識」など、匿名の権威というものの役割を見落としている。我々は他人の期待に一致するように深い注意を払っており、その期待に外れることを非常に恐れているので、世論や常識の力は極めて強力となるのである。言い換えれば、我々は外にある力からますます自由になることに有頂天になり、内にある束縛や恐怖の事実に目を塞いでいる。122ページ


人間はかれを精神的な権威に縛り付けているあらゆる絆から自由になるが、しかしまさにこの自由が、孤独と不安感とをのこし、無意味と無力感とで人間を圧倒するのである。自由で孤独な個人は、自己の無意味さの経験におしつぶされる。89ページ

多くの読者は、個人を観察してえられた発見が、はたして集団の心理学的理解に適用できるかどうかを疑うかもわからない。この問いに対して、われわれははっきり役に立つと答えよう。どのような集団も個人によってできたものであり、しかも個人以外のものによってできているものはない。それゆえ、集団のなかで働いているメカニズムは、個人のなかで働いているメカニズムにほかならない。155ページ

人間は歴史によって作られるだけではなく、歴史も人間によって作られる。この一見矛盾したことがらを解決するのが、社会心理学の領域である。社会心理学の仕事は、社会過程の結果として、情熱や欲求や不安が、どのように変化し発展するかを示すだけでなく、このように特殊な形となった人間のエネルギーが、今度は逆に、どのように生産的な力となって社会過程を作っていくのかも、示さなければならない。20ページ

自由はバラ色とは限らず、痛烈な孤独と重い責任を伴うがゆえに、安易さを求める大衆にとっては、逆に呪縛ともなりえる。それからの「逃避」の欲求が、ドイツ国民が全体主義に取り込まれる理由の一つだった。